【芸術の秋】文化後進国へと衰退してゆく日本 カニエ・ウェストのDONDAと話題のキャンセルカルチャー 「男らしさの終焉」などを読んでみて 男性権威主義社会が内包する悪の腫瘍

 度重なるリリースの延期を経て、8月29日に突如リリースされた、米ラッパーカニエ・ウェストの10枚目となるアルバム「DONDA」。リリース日当日、オレは愛知県蒲郡市にある西浦温泉に居て、彼女と最高にチルってたんですけど、なぜかTwitterの音楽界隈がザワザワしていて、あれ?もしかして... と思いApple Musicを開くと、あのDONDAがリリースされてたんです!アノ、DONDAが!一部ではもうリリースされないのではないかと騒がれていた同作。無事リリースされた嬉しさもさることながら、アルバムとしての完成度たるや!大学図書館で借りた「読書のススメ」的な著書(たしかこんなようなタイトル)の中で、二葉亭四迷か誰か著名な文豪が「私が小説や物語を読み続けるその理由は、以前までの自己を超越できた感覚を甘受出来るからである」みたいな" いかにも" なことを記していたのを思い出したんだけど、まさにそう!例えば「呪怨」を観た後のエレベーターが異常に怖く感じられたり、「エンドゲーム」を観た後に身体から力が湧くように感じられたり、映画、小説、音楽、スポーツ、ファッションにアニメーションetc... ぐるっとまとめて" 文化物 "を摂取する前とした後では、明らかに違う自分になってる!って感じられるあの恍惚感って最高だと思うんです。。

DONDAは紛れもない大傑作アルバムで、今の自分が視聴してその魅力を語るには、あまりにもその規模感とレイヤーが規格外なのは重々承知なんですが、ん〜なんて言語化したらいいんだろう、今のオレが例えばフェラーリランボルギーニのウルスを所有しても" 所有されてる感 "が否めないというか、全身をバレンシアガで着飾ったとしても、それはデムナ・ヴァザリアがコンセプトしたブランドイメージの加護を受けているだけというかなんと言うか、、そう!DONDAもそんな感じでまだまだ自分の身の丈には合わない、荘厳で深度のあるアルバムなんです(最高) そんでこのアルバム152カ国の音楽チャートで1位を記録していて、SpotifyApple Musicでの初日ストリーミング数も軒並み歴代記録を更新したらしいんです。もちろん日本の音楽チャートには1曲もチャートインしてませんでしたけど!モチロン!ん?・・・

最近Apple Musicに追加された各都市別のトップ25が閲覧できる新機能で、各都市別のチャートを3日ごとぐらいに閲覧したところ、残念ながらカニエ・ウェストのDONDAの内1曲もトップ25にチャートインしているところを確認することが出来ませんでした!あの花の都大東京ですら!あざした!日本の音楽家国内需要を満たすことを念頭に音楽製作をしている。だとか、日本にBTSのようなグループを育成するお金なんてないんだよ〜!みたいな話は幾千と耳にしてきました。そういったあるムーブメントを発信できる体力や、試金石となる場がそもそも存在しないのは非常に分かるんですけど、もしかしてヤバいのかなって思ったのは、全世界約196ヵ国の内、DONDAがチャートインしなかった44ヵ国(196-152=44 合ってる?)に晴れてチャートインしゃったことなんだよね。多分だけどその内数十カ国はインフラすらまともに整ってない後進国で、そういった国のことも考えると、じゃあなんで先進国である筈の日本でこんなことが起こってしまってるんだろう。ってここ数週間考えてたんです。はじめはやっぱり外国の音楽だから?って考えに至ったんだけど、ビリーアイリッシュのBad Guyは死ぬほど流行ってドラマの主題歌にもなったし、ミュージックステーションに出演したり、村上隆とコラボレーションもしたから違うじゃん!って破綻して、じゃあ宗教上の理由?って考えてみても、日本ほど様々な宗教の宗教的要素を吸収してる国は無いじゃん!ってなってまた破綻して...プロモーションにお金が回されていないから?でもカニエは大の親日家な筈だしなあ...って思考が停止しかけた時、もしかして男性権威主義社会のせいじゃない?ってなったんです。

オレはこれを聞いたときビックラコイタんですが、先進国の内最も男性権威主義的な国家はオレ達の大好きな国・日本らしいんです。男性権威主義社会の主な特徴と副作用としては①勝者敗者の構図②年功序列制度③性別役割分業などが挙げられます。簡単にまとめると、縦割り社会で風通しが悪く、常に勝ち負けを意識せざるを得ない社会で、おまけに女性の社会進出が見込めない。みたいな感じになるのかな?字面だけを見ると、今すぐにでも国外退去をしたくなるような国に見えるけど、あくまでも日本の特徴ではなく、男性の権威が社会に大きく影響する国家の特徴の一部分らしいんです(ほぼほぼ日本のことなんですが)総裁選も高市氏と野田氏2名の女性総裁候補者が居たのにも関わらず、俗に言う「ガラスの天井」を破ることはなく、岸田氏が総裁に選ばれました。しかも蓋を開けてみると、高市氏の裏で屋台骨になっていた安倍前首相は、河野氏と岸田氏両二名の決選投票を見越した際に、高市氏へ投票していた細田派などの党内最大派閥の票が岸田氏に流れることすら念頭においていたのかも。みたいな話があって、オレが高市氏ならガチオコなんだけどさ!はじめっからアタシのこと勝たす気ないじゃん安倍ちゃん〜!って、ずいぶん話が脱線しましたが、コレがDONDAの件とどう関係するの〜?ってなってると思うので、ぐちゃぐちゃに散らかっている頭の中を整理するつもりで、言語化していきたいと思います(今日はマジメver.)

今作DONDAで、カニエは亡くなった母親ドンダ・ウェストに対する希求の念と、最近なにかと耳にする機会が増えたカウンターカルチャーに対するアンチテーゼである、アンチカウンターカルチャーという旗を掲げています。カウンターカルチャーの例で言うと、過去のいじめ問題で五輪開会式の楽曲製作を辞退した小山田氏の一件。小山田氏に対するヘイトをTwitterサブアカウントで向ける様子や、自分の親を殺されたかのように執拗に匿名で罵詈雑言を浴びせるだけ浴びせて、自身が小山田氏と同様のいじめ行為を行なっていることに気づかないその様子。こういった一度過ちを犯した個人を社会からキャンセル、排斥しようとする思想をキャンセルカルチャーと呼称します。最近チラチラと問題視されている場面を目にします。もう気づきましたか?どういった社会で頻繁にキャンセルカルチャーが引き起こされているか。そう、多様性が存在せず、常に他人と勝ち負けを競っている社会でこそキャンセルカルチャーは引き起こされてしまっているんです。これは二元的な情報ではなく、担保がある一元的な情報なんですけど、世界で一番ユーチューブのバッドボタンが押されている国は日本らしいんです。演者が舞台でパフォーマンスをしている様を傍聴しているオーディエンスは、実のことその演者のパフォーマンスではなく、パフォーマンスの綻びや欠陥がないかとじっと見つめている。と(なんだか話が重たくなってきたね)

さらに話を重たくすると(?!)日本の10〜30代の死因の第一位は自殺らしいんですね〜。インフラも整ってて治安もいい日本なのになんで?!この話はまた別の機会にでもしっかりと触れようと思うんですけど、そう、DONDA!つまり、これだけ頑固なキャンセルカルチャーがこびりついた日本社会には、DONDAのようなアンチキャンセルカルチャーを謳うアルバムが収まるような余白なんてはじめから存在しなかったんです!はい、じゃあ明日から土足で家に入ることを義務づけます!って岸田総裁が例えばヘンテコなマニュフェストを打ち出しても、へ?土足で家?!外国じゃねえんだから!ってなるし、明日から嗜好用の大麻オッケエなんで全国民、バンバン吸っちゃってみんなでブリブリになっちゃって下さい!ってなっても大麻?!麻薬じゃん!ってなるのと同じで、まるで違う惑星と違う惑星が異なる言語を使用して交易を行おうとしているような、いやそれ交易出来ねえじゃん!的な?そもそもDONDAと日本の音楽チャートは違う特質のモノで作られているんだよ。みたいな水と油感があるんです。

もう少し深掘りすると、こういったキャンセルカルチャーのような、ある対象へ向けたバイアスや偏向は潜在意識に根付いてしまっていることが多く、自分では何の差別を行なっていないように思えても、実はかなり偏った思想に陥ってることが多々あるんですよね。もちろん、そういった潜在意識に根付いている無意識領域の自我みたいなものがあるから安全で、種として規則ある生活を送れているのも事実なんですけど(複雑)だけどやっぱりオレはこの潜在意識のせいで、自己を超越するほどの感動や躍動を与えてくれる文化物に触れることが出来なくなるのってホントに勿体ないなって思うし、何より悔しいんです。ついさっきまで観ていた「セックスエデュケーション」内の会話で面白いものがあったんですけど、ホープという新任の校長が就任することになった主人公たちが通う高校で、新たに制服制度が導入されることになった、という場面。LGBTQIA+バッチを付けた生徒がホープに「バッチなしに主張出来ないなら、信念が弱いということよ」と言及されてたんだけど、いや〜面白い!てか羨ましい!多民族国家では異民族感で何度も争いを続けてきた凄惨な過去はあれど、自身のルーツやアイデンティティを主張する気概やトレンドマークが存在しているように思えます。一方単一民族国家である日本は?例えばオレ達がアイデンティティを主張しようとしても、ナニをタイマツの火にして燃やせばいいのか?いまいちハッキリしないし、それは大切なことは胸にしまっておくことが美徳とされる国民性が起因しているのかな?オレたちには明確に胸に飾れるバッチなんてものは存在していないんですね(それとも曖昧すぎて見えないだけ?)

GAFA(Google, Apple, Facebook, Amazon)の株式時価総額が、日本株全体の時価総額を上回ったって話もあるし、ワクチンの開発においても結局後手に回っちゃったよね。今度は飲むタイプの経口薬の開発に躍起になってるっぽいけど、海外との技術差の遅れは数ヶ月以上とも言われてるし。。ここまでだけの内容を読むとえ!オレ日本大嫌いじゃん!ってなっちゃうんだけど、ううん、オレ日本大好きなんだよ!昔は技術の日本だっけ?って讃えられてたじゃん!前述したとおり、経済界において海外の企業はどんどん力をつけていくのに対して、日本はやっぱり国内需要や設備投資にお金を回す一方で、明るい展望があまり見えないような気がします。ましてや明確に勝ち負けの意識や性別役割分業の弊害が存在しているビジネス界において、真の意味での種としての展望・発展は叶うのでしょうか?(これは超個人的な意見)

そう、なので今こそ最高に文化する時なんじゃないかな!と思ったんです。よく芸術は心を豊かにするって見出しを耳にするけど、少し分かる気がします。「はじまりのうた」を観た後は夏のニューヨークの市街に想いを馳せたし、最近読み返した「東京喰種」では、整然と描かれていた東京のその無機質な都市感のようなものに身を焦がしました(だって周り田んぼしかないんだもん)岡本太郎の「今日の芸術」を読んでる最中は岡本太郎に説教されているような気持ちになりながらも、芸術の講義を真に受けているような、そんな多幸感がありました。そう、そうやって少しずつだけど、色んな文化物を通して自分が拡張されていく感じがやっぱり豊かになってるのかな〜?みたいな

新鮮な酸素が供給されない水鉢の中で少ない酸素を求めて争いあっているような閉塞感を感じたり、世間がさらに速度感を増して「あなたは何者なの?」とお節介なタグ付けを強要してくるようなそんな昨今だけど、やっぱり今こそ、死ぬほどカルチャーするしかないんじゃないか、って思います!蓄えた文化物は根っこに栄養を送ってより太く、地中に根を張るし、自身が富むということは、それだけ人に対しても寛容になれるってことだと思うから!最近だと文化・芸術の分野でお隣韓国に負けっぱなしだけどさ(笑) あれ、もしかしてこの勝ち負けの意識も無意識領域内に男性権威主義社会の副作用が働いちゃってるの?、分かんないからセックスエデュケーションの続きでも観よっと!

ご精読ありがとうございました。