結局エモいってなんなんだろう? 花束みたいな恋をした 明け方の若者たち サブカルチャー 不気味の谷とオレたちのマジックアワー※微ネタバレ有

 (エモいってキレッキレのセンシティブ?なワードなので国の上層部に消されやしないか心配で心配でたまりませんが、今だけはAP通信のリポーターになったつもりで、エモの核心に迫っていきたいと思います)

みなさんは「エモいってどういう意味?」って尋ねられたら、なんて答えますか?体感ここ2.3年?ぐらいで爆発的に耳にする機会が増えた「エモい」ってワード。これがエモですよ!って映画、音楽、はたまたフェスに至るまでいろーんなエモの文化物が氾濫してるよね。恋愛なんてまさにトップオブザ・エモ!(※何でもかんでもエモって言うのは苦手です。わざわざ抑揚や機微のある日本語を話してるんだもんね、せめて○○だからエモいって言えるようなステキな大人になりたいもんね。気をつけようなオレ)エモいって言葉の皮をペリペリ剥がしていったら、中身にどんなエモが詰まっているんだろう?

以前から読みたいな〜う〜んでもまた今度でいっか!的な立ち位置にいた「明け方の若者たち the end of the pale hour」クンと大学の図書館でバッタリ出逢ってしまいまして、しかもその日は丁度あのゲリラ豪雨の日!この出逢いには何か大きな意味があるんじゃないか?!って思うぐらい雷鳴ってたしさ、今週の水曜だったっけ?気づけば貸し出し口の前に立ってたんですけど、読み終えてみて、こいつトンデモないやつだったんです。(こっからは長いんで頭文字取って明け男(あけお)君って呼びます)

あらすじ→明大前駅で開かれた退屈な飲み会。そこで出会った彼女に、一瞬で恋をした。本多劇場で観た舞台。「写ルンです」で撮った江の島。IKEAで買ったセミダブルベッド。フジロックに対抗するために旅をした7月の終わり。世界が彼女で満たされる一方で、社会人になった僕は、“こんなハズじゃなかった人生”に打ちのめされていく。息の詰まる満員電車。夢見た未来とは異なる現在。高円寺の深夜の公園と親友だけが、救いだったあの頃。それでも、振り返れば全てが美しい。人生のマジックアワーを描いた、20代の青春譚。

(どっかで聞いたことあるな...)

明大駅前で開かれた飲み会 通称" 勝ち組飲み" は内定が決まっている4回生たち限定の下世話な飲み会でした(てことは主人公は大学四回生?)主人公は飲み会の端っこで退屈そうにしているヒロインに一目惚れをしてしまいます(定番のやつですか)その後2人は飲み会を抜け出し、甲州街道を恋人とも友達ともいえないあったけえ距離で歩きます(明大駅前ときて甲州街道..??)そして主人公は社会人になり、何者にもなれない、又何者にもなれていない自分に強くフラストレーションを感じる毎日を過ごすのでした(....)

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(こ、これ花束みたい)な恋をしたじゃねえかよお!!れ!!!れ、!!、!?ストーリーには全く共感(怒りすら覚えた)出来なかったけど作品としては大嫌いで大好きな、花束みたいな恋をしたじゃねえか!!!!!

みたいな感じで、明け男クンは明け男クンの皮を被った花束みたいな恋をした(以下 花沢クン)だったんです。こりゃ参った。実は花沢クンを観終わった後に花沢クンのはてなブログを書こうとしたんです。でも、当初フツフツと湧き上がっていた気持ちは次第に下火になっちゃったし、サブカルとか色々突っ込んで書こうと思ったはいいものの、後日見返すと幼稚園児のラクガキみたいな文になっちゃっててサクッと消したんです。それでも簡単に収まるような気持ちじゃありませんでした。ずーっとモヤモヤしてて、麦くんと絹ちゃんは結局恋愛してたのか?それともただ4回生って絶妙なタイミングに出逢って、磁石のS極とN極みたいにガッチャンコしちゃったのか?ただ共通項が多いサブカル男子女子が自身をお互いに投影した結果、ミイラ展、押井守、今村夏子の「ピクニック」、ゴールデンカムイ宝石の国。多くの固有名詞を" パーティグッズ "にして外側から狂乱していただけなのか?(たしか絹ちゃんが砂浜のシーンでこんな様なこと言ってなかったっけ?)

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そう!これ!→ 「始まりは終わりの始まり。出会いは常に別れを内在し、恋愛はパーティのようにいつか終わる。だから恋する者たちは好きな物を持ち寄ってテーブルを挟み、お喋りをし、その切なさを楽しむしかないのだ。」ここら辺で有村架純演じる絹ちゃんにおや?って思い始めたんだけど、多分彼女はサイコパスなんだと思います。いやサイコ野郎。100万歩譲って絹が果てしないほどのリリシストだったり、野田洋次郎とカネコアヤノの娘なら芸術に昇華されるべき詩?作品の一部なのかな〜?って考えたりもするけど、付き合いたての菅田クンと誰もいない砂浜でデート(絹ちゃんオレと代わってよ)してる時に...。中々のひねくれ者なんですよね。これ以上は絹ちゃんの愚痴になっちゃうのでやめておきます。

そう!つまり明け男と花沢は非常〜に作品的に被る部分が多くて、描かれてる層もピタッとマッチしてたんです。その中でも群を抜いて抜群の整合性を見せたのが、今回のはてなブログのテーマでもある「エモ」だったんだよね〜(こっからが本番?!) 花沢クンのレビューをザーッと見た時に「2人の関係がエモかった」とか「○○のシーンがエモかった」みたいな感想やコメントが多いな〜ってなったのを覚えてて、それで案の定明け男っちの感想を見ても大半が「エモい」で占められてたんです。エモいに関しては真ん中の中間層・グレーゾーンが存在せずキレーイに「エモいはエモくない派」と「エモいはエモい派」に分かれてる印象なんだけど、みんなはどっち派ですか?どっちがいいとか悪いかじゃなくてどっちなんだろう?って!是非今度会ったときに、オレとエモ神経衰弱しましょう。それとか、4つエモいと思うシチュエーションを言ってって、実はその中の1つは全くエモいと思っていないエモシチュエーションが混ざってました〜!みたいなゲームもしましょう。

困った時はGoogle!ってことでググって1番最初のページに出たGoogle的エモの定義はこんな感じでした。→ "「エモい」とは、なんとも言い表せない素敵な気持ちになったときに使う、主に若者の間で浸透している俗語(スラング)です。 感情が揺さぶられたとき、予期せず感動したとき、とりわけ心地の良い懐かしさや良質なセンチメンタルに襲われたときに使うようです。"

うひー!コレがエモなるモノの正体らしいです。。でもさ、じゃあ花沢クンの中で2人が行ったミイラ展は本当にエモいのかな?多分、多分だけどもし10組のカップルがミイラ展に行ったとしたら、その内何組のカップルが「世界各国のミイラさマジでエモかったね〜」って言うんだろう?きっと麦くんカップル達だけなような気がします。若者の間で浸透している俗語(スラング)ってことはある程度エモいって思われてる範囲、それと対象になるモノがあるってことだもんね。ミイラ展がふたりにとっての「なんとも言い表せない素敵な気持ちになったとき」なんだよ!って言われたらそれまでなんですけど(この話の続きは後ほど)

じゃあ明け男クンの中で主人公とヒロインが2人で飲み会を抜けた後、夜の甲州街道をあったけえ距離で歩き、コンビニでストロングゼロを買って夜の公園でしっぽり飲み直す場面。これはどう??多分、10組の飲み会を抜け出したホックホクな男女にインタビューしたら7〜8組ぐらいはエモい!って言いそうだなって思います。ある程度の枠組みがあるはずなのにこのエモの差はなーにー?(そろそろゲシュタルト崩壊しそう)

ガチ余談なんですけど花沢クンの中の麦くんカップルが真昼間から町中華を頬張り、それをキンッキンのビールで流し込むシーン。最高にエモでした。まさに有無を言わせないエモ!

余談はさておき、てことは結局エモってなんなんだよ〜ってまんまとふりだしに戻っちゃったんですよね〜。俺もなう(2021/07/16 06:20:17)の小一時間前まではループにハマった状態でした。そしたらパッと思い出したことがあって、それは不気味の谷現象っていう現象について。wikiからの抜粋→" 不気味の谷現象(ぶきみのたにげんしょう)とは、美学・芸術・心理学・生態学・ロボット工学その他多くの分野で主張される、美と心と創作に関わる心理現象である。外見的写実に主眼を置いて描写された人間の像(立体像、平面像、電影の像などで、動作も対象とする)を、実際の人間(ヒト)が目にするときに、写実の精度が高まっていく先のかなり高度なある一点において、好感とは逆の違和感・恐怖感・嫌悪感・薄気味悪さ(uncanny) といった負の要素が観察者の感情に強く唐突に現れるというもので、共感度の理論上の放物線が断崖のように急降下する一点を谷に喩えて不気味の谷 (uncanny valley) という。不気味の谷理論とも。

うーんGoogle先生よりも堅物だなwikiパイセン。。噛み砕くと、人間はあるロボットが人間らしい動作をし始めるとそのロボットに好感を抱き始めるが、ある所まで到達するとガクッとそのロボットに対する好感度が落ちるポイントがある。しかし、そのロボットがさらに人間らしくなればなる分だけ、彼らに対する好感度はまた上昇する。って現象らしいんです。グラフに表すと、このガクッと好感が下がる部分が谷に似ていることから、この名前が付いたっぽい。アニメverのドラえもんは可愛いけど、3DCGverのスタンドバイミードラえもんは何だか無理かもしれないワ。みたいなことらしい!

なんでかポンッと不気味の谷現象の名前を思い出して、あれ?コレってエモいの答えなんじゃないか!ってなって少しこの迷宮のゴールが見えた気がしました。

つまり麦くんカップルの定義するエモいは不気味の谷の谷が現れる1歩手前の崖の部分で、2人にとってその地点は最上級のエモなんです。でも、公園で飲み直してるあったけえ2人からすればそれは谷の部分に当たっちゃう?から、エモでも何でもない。はあ?何ミイラ展って?みたいな。もちろんミイラ展も公園呑みも両方エモいって感じるカップルはいるし、どっちともエモくない!ってカップルも絶対にいると思います。なんとなく言いたいのは、エモい・エモくないモノなんて初めからあるようなもので全く無いものに等しいし、ただの主観のズレなんだな〜って感じです!見事なまでの二律背反なんだけどね。笑 そう!だから友達の○○クンが感じるエモい、と自分が感じるエモいは主観が違うだけで、エモい!エモくない!みたいな会話って絵に描いた餅なんだな〜ってことでした。下を見れば谷底が見えてしまって、当たり前だけど一歩踏み出してみよう!って気持ちにはならない。だけど真っ直ぐ前を見てみると谷の向こう側には楽しそうにエモを享受してる人達が居たり、みたいな? もちろん左を向けば谷のない地続きのエモ大陸があったりもするからさ、、。まさに複雑怪奇!エモはやっかいなヤツですね。大衆化されたエモはエモなのか論争はあるけれど(深夜のコンビニエンスストアとか)ま、でもGoogle先生の説明するエモが大衆化されて市井に普及されてるのは最高だよね!あれだけ散々言っちゃった絹ちゃんの発言もただのエモの種類の違いって捉えればいいのー?(それを差し引いても絹はサイコパスだけどね)

さらに発展させると、エモのアンテナが近い2人が出逢えて、2人が定義するエモを体現出来る。。コレなんてエモーショナルなことなんでしょう。。

明け男のサブタイトル「the end of the pale hour」を訳すと、「淡い時間の終わり」って意味になるらしいです。明け男の終盤、主人公と会社の同期尚人の印象的な会話がありました。

 

尚:「時間とお金って、いっぺんには手に入らないって、よく言うでしょ」

主:「お金があっても時間がないか、時間があってもお金が無い、ってやつ?」

尚:「そう。でも、大学出て、会社入って、二十三、四歳って、学生時代よりは金があるし、結婚してないから保険とかも入ってないし、頑張れば夏休みも確保できたし、体力もあるから、オール明けで出勤とかも、できたでしょ」

主:「あー、そうね。体力があれば時間は作れたし、困るほど貧乏でもない、ってことか」

尚「そうそう。それよ。結婚すりゃ夫や妻が家で待ってるっつって飲み仲間が減るし、子供ができる頃にはローンや保険が苦しいし、子育て終わったと思ったら今度は親の介護で、全部終わった頃には、こっちの体力が残ってねーじゃん。オールで遊んで、明け方ダラダラと話して、翌日しんどいながらに会社に行く。あれって若いうちしかできないことだったんだよ。だから、こんなハズじゃなかった!って、高円寺の隅っこで酒飲んでたあの時間こそさ、実は人生のマジックアワーだったんじゃないかって、今になっておもうのよ」

麦くんカップルと明け男カップルの過ごしたそれぞれのマジックアワー。感じたエモは違えど、間違いなくかけがえの無い2人だけのモラトリアムでありマジックアワーだったんだよね。ありがとう明け男と花沢、、花沢に関しては絹に文句言ったり急に感謝したり、まるでオレDVする彼氏みたいだったけど。。当時を思い出してあの時はマジックアワーだった、マジックアワーじゃなかったって結局なるんだろうけど、ひらけた今をじっくり享受しようって思いました!

 

ヤバいことに気づいちゃったんだけど、社会人になって味わえる二十三、四のマジックアワーって、オレ味わえなくないっすか?...

ご精読ありがとうございました!